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歯の神様

歯形地蔵(京都府)

 歯形地蔵さんは京都市内の2カ所に存在しています。そのひとつは「よわい草」に見られるように上京区御前通一条下ル東堅町の万松寺に、もうひとつは北区千本鞍馬口上ルの街並みの一角にあります。

 この2つのお地蔵さんには、それぞれユニークな伝説が複数伝えられています。

 今回ご紹介するストーリーは、昭和50年頃に取材に訪れた当時を再考してみたものです。

 鞍馬口通りの辺りには明治時代頃まで京都の北部を流れる川の支流と言われる川が流れていたと言います。この川は水が上に向かって流れる、いわゆる「逆さ川」と呼ばれていました。そして千本通りに橋が架けられていて、その袂に大樹があり、それに添うように地蔵さんが鎮座していたと伝えられています。

 その昔、この一帯は織物の地として栄え、機織屋が多数あったといいます。そこに働いていた若い男女がいつか恋仲となって、睦まじく日々を過ごしていましたが、ある時、男性が川のほとりで見知らぬ女と立ち話をしている姿を見て、浮気をしていると思い込んだ女性は逆上し、相手の女の肩口にかみつきました。その後、この浮気の事実はなく、誤解であったことが分かり、その女性は懺悔の毎日を送っていました。

 一方、かみつかれた女は地蔵さんの化身であって、いつの間にか元の地蔵さんの姿になりました。これを知った女性は自分の不徳をわび、この地蔵さんを自らの手で祀り供養することを思いたち、肩口に残った歯の痕をそのまま名付けて「歯形地蔵」として守り継がれて今日に至っていると伝えられています。

 先日、再度この地に足を運び、歯形地蔵さんの真向かいにある電気店で、お話を聞くことができました。その折のお話の中に、現在でもお地蔵さんの右肩には、気のせいかもしれませんが、かすかに痕が見られる、ということでした。

 戦後、この地の地主が整地してビルを建てるに伴って現在地に移されたと言います。今でも通りすがりの人々が立ち止まって手を合わせる姿は、この地蔵さんが、この辺りの人々に密着した存在であり、親しまれ、深い信仰を得ているものと見受けられます。

寛算石(歯神の社)(京都府)

 京都駅より近鉄京都線で1つ目の東寺駅下車。駅の東側を平行する油小路通りに挟まれた住宅街の一隅に赤い鳥居が見られます。民家に挟まれた小社ですがきれいに掃除が行き届いて鳥居の赤色があざやかさを増しているようです。

 鳥居には「歯神の社」の文字が見られます。歯神の社奉賛会の有志の人たちによってお守りをしていると聞き、世話人代表にお話を聞きました。

 歯痛を治す霊石と親しまれ、長い間信仰の対象となっている寛算石はこの社の裏手にあります。

 写真に写っている赤い鳥居の前に立っている木製の案内板は、柱が腐食し折損してしまい、現在はありませんが、京都市役所の手により金属板のものとなって、建て替えられるということです。
(※取材当時)

 寛算石は案内板にも見られるようにかなり大きなものです。しかし長い年月が経つにつれて、雨雪のため地盤がゆるみ、石自体の重みで地上に埋没して現在の状態になったと言います。

 ところでこの霊石が「歯神の社」として1,000年近くも親しまれ、信仰の対象となったのは、「歯神の社の由来記」によると次のような経緯です。

歯神の社(寛算石)

歯神の社(寛算石)の立札
歯神の社(寛算石)の立札

 「北野天満宮の末社の中に寛算の社がある。菅原道真が藤原氏に追われて、延喜3年(西暦903年)に太宰府(福岡県)で亡くなった後、その怨霊が雷となって京都の空に現れた時、筑紫安楽寺の寛算も雷と化し、道真の霊を慕って京の空から藤原氏を悩ませ、時平らの一味が亡んだので石となって落下したという伝説によって祀られたものである。

 大鏡にも、三条天皇(1015年頃)の条にも寛算が変怪となって現れたことが記されている。桓算、寛算、官山などと書かれているが、天空から落下した霊石の中でも、特に飛翔自在の山神蔵王権現の鎮まる蔵王の森に在る石を、寛算の霊異石として崇めたものと見られている。また、かような霊石を歯痛を治めるという夜叉神の権化と考えて、歯神の石で親しまれるようになった」

 歯痛に悩む者が、痛みの苦痛から解放されるように祈願しに来た折には竹箸を持ち帰り、これによって食事をとる。治癒した場合は新しい礼箸を返納するということです。

 春・夏2回の祭礼を催し、この日には神輿や山車も繰り出し大変に賑うそうです。

 多くの歯の神様、歯痛止め地蔵さんが言い伝えられている中で、寛算石のように天然の石が信仰の対象となっている例は非常に珍しいことです。

ぬりこべ地蔵 塗り箸で食事(京都府)

 歯の神様、歯痛止め地蔵さんの中でも「ぬりこべ地蔵」さんは関西地方では代表的な存在です。「ぬりこべ」とは痛みや悩みを祈願する人の身体の中に“封じ込める”“ぬり込める”から来ていると言われています。

 千本鳥居で有名な京都市伏見区にある伏見稲荷大社の一角、通称「ありの山」墓地の中に鎮座しています。京都駅から奈良線稲荷駅下車。すぐ前が稲荷参道となっています。本殿の左側からゆるやかな上り坂の参道を歩き、数分の所を右側に曲がります。この小路を下って民家の間を抜けると「ぬりこべ地蔵」の標識が目につきます。

 もとはこの地から西方数キロの所、現在、龍谷大学や警察学校のある辺りにあったのですが、明治中期頃に、この地に京都師団が駐留して兵舎や倉庫、兵器庫などを建てるためこの辺一帯を徴収し、命令によって移転させられました。先代の木村藤次郎さんが依頼を受け、他の墓地、墓石とともに現在地に移転し、それ以来守護が続けられているということです。

 「歯の神様」「歯痛止め地蔵さん」が庶民から信仰を受ける経緯は、いずれの場合もそれなりの理由があるものです。多くの場合、江戸時代からさらに年代を遡ります。

ぬりこべ地蔵
ぬりこべ地蔵

 昔から歯痛止め地蔵さんとしての信仰度は大変に高く、今もって毎年8月に行われる祭りの日には遠地より信仰深い人々が参詣に訪れると言い、またこの地に訪れることの出来ない人から届いた「歯痛を治してください」や、「痛みを治してくれてありがとう」などの手紙やハガキが、段ボール箱にいくつも保管されているそうです。

 お堂は近年建て替えられ、清潔さを感じます。左側の小屋の中にはお供物お札お線香ローソク塗り箸などが並べ置かれ、お詣りの折にこれらの品を求めて祈願するということです。”ぬりこべ地蔵尊札”は持ち帰り、朝夕に手を合わせ祈願し、”塗り箸”はこれを用いて食事をする。願いが叶った時にはお礼参りの塗り箸を返納する習わしだそうです。

尊札
尊札/箸(袋入り)

 京都市中京区麩屋町通り御池上ルにある白山神社は承治元年(1177年)、高倉天皇が石川郷白山権現(加賀の一の宮)の御神霊を勧請したものと伝えられています。

 往古の皇室、公卿などがはじめて鉄漿(おはぐろ)を染めた折には、当社の神楊枝、神塩を献上したと言われます。

 また、後桜町天皇が歯痛で悩んでいた時、ある女官が当社の神箸と神塩を献上したところ、天皇の歯痛は直ちに平癒したので、御紋付提灯を奉献されたと伝えられています。

 この古事により、歯痛に悩む人々の歯痛快癒の神として崇敬されているとのことです。

 現在、幼児の食初に当社の神箸を授け、これを用いれば無病息災として、拝受に訪れる人が多いと言われています。

東寺の歯痛の神様(京都府)

東寺の歯痛の神様
東寺の歯痛の神様

 京都駅南側・京都市南区九条町の東寺の講堂裏手にある夜叉神さんは、元は南大門と金堂の間にあった中門に東寺の守り神として安置されていました。

 昔、修行僧たちがちょっとした病で苦しんだりした折に、この夜叉神さんにお願いをしていたようです。特に歯痛の時など、その苦痛で気が散って修行にも支障を来たしたところ、夜叉神さんにお願いして治ったと伝えられ、いつの頃からか歯痛の神様として信仰されるようになったと言います。

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