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歯の神様

むし歯の仏さま・真田阿梅の墓(宮城県)

 歯や口の中の悩みを癒す伝説や風習は、その土地によって特色があるものが多く、信仰の対象とするものも、神社・仏閣・石像など、これまた色々です。そんな中で「むし歯の仏さま」と呼ばれ親しまれている石仏が、宮城県白石市にある浄土宗当信寺境内にあります。

阿梅の墓   石仏
阿梅の墓 石仏

 この石仏が右手を頬にあて、首を少し右側に傾け、片足を組んだ姿は、いかにも歯痛に悩んでいるように見え、この地方の人々は歯痛を治してくれる仏様として信仰し、石仏の一部を削り取って痛む歯につけると治ると伝えられています。写真で見ても分かるように、今では頬のあたりは大きく削られ、左手は肘から先がなくなっています。この石仏は名将・真田幸村の娘、阿梅の墓で、これには次のような逸話が残っています。

 元和元年(1615年)大阪城に立て籠もった豊臣の遺児と家来たちを、徳川家康が攻め落とした、大阪夏の陣の時でした。伊達政宗は、徳川家康に味方して東軍に加わり、政宗の家臣片倉小十郎重長は病気の父景綱に代わって先陣を命ぜられて、敵将薄田隼人や後藤又兵衛ら大勢を討ち取り、敵味方を驚かす活躍をして“鬼小十郎”と呼ばれました。

 いよいよ大阪方の落城前夜、矢文をもって敵将・真田幸村から、「自分は豊臣へ恩いがあるので城と共に討ち死にするが、わが子まで道連れにする義理はない。今日まで見渡すところ片倉勢は敵ながら天晴れな戦いぶりであるのを見込んで、子女を託すので、わが亡き後は代わって養育を頼みたい」という申し入れがありました。やがて、闇にまぎれて陣の前にひそかに駕籠が押し出されました。中には白綾の鉢巻をして、白柄の長刀を杖にした美しい同じ年頃の若い娘2人がいました。敵ながら見込んで頼まれれば嫌とは言えず、重長は誰にも知れぬように国元に送り届けてかくまったのでした。1人は真田幸村の娘・阿梅の方で当時12歳。もう1人はお供の女で穴山小助という家来の娘でしたが、どちらが阿梅の方か分からぬようにしてありました。

 その後、弟の大八、阿菖蒲、おかねと共に片倉家によって白石城ニの丸にてひそかに養育され、徳川の厳しい調べの目を逃れて成長しました。大八は後に片倉四郎兵衛守信と名乗って、伊達家の家臣となりました。阿梅は重長の後妻となって78歳と長命でしたが、死が迫った時に「自分は西国生まれなので、西国の者が通る道の近くに葬ってくれるように・・・」と遺言したので、奥州街道にあるこの寺に墓を作ったのです。

 生前は、敵の中で暮らしていたため、寝る時も帯を解くこともなく、いつものぼせて歯の痛むことが多く、苦しんでいたと伝えられています。たとえ仇の子でも、歯の苦しみだけはさせたくないと常に語っていたので、後にこの墓が「むし歯の仏さま」として信仰され、大勢の人々を救ってきたということです。

阿保原地蔵(煙草を供える)(宮城県)

 「陸奥国苅田郡白石領三沢村阿保原圓福寺の地蔵尊は、大江戸の近國にては、いつのころよりか奥州のあごなし地蔵尊とのみ申傳へ候よし」

 このような書き出しで始まる「別当・圓福寺」の地蔵堂勧進・略縁記(古書)が見つかりました。この略縁記により、阿保原地蔵尊には次のような伝説があることが分かりました。

 この尊像は当寺の開基・海運法師をお祀りしたもので、この法師は慶長元年(1596年)4月8日に出生し、若い頃より諸国行脚をしていましたが、常に口の中の悩みに苛まされ、修行も支障を来したほどであったため、行く先々の諸寺諸山に参詣したり、また良薬を求め使用したのですが、効果が現れませんでした。そんな折に、紀の国(和歌山県)熊野山に参詣し、17日間祈誓を続けた時に、権現より夢の中で、「みちのくへ下り、地蔵尊菩薩を祈り香に葉たばこという草をたけよ」とのお告げがあり、これに従って、この阿呆原の地に来て、お告げ通りに17日間祈念を行ったところ、長年にわたっての口の中の悩みが、夢の覚めるように平癒したのです。尊きありがたさが身に沁み、この地に熊野山を勧請して圓福寺を建立し、地蔵堂も建てました。そして、信仰心を篤くして、お告げによって「たばこの香」を焚き、口の中の悩みを持つ人々を憐み、熊野のお告げを教えました。この教えを守る者は皆、その悩みが平癒したと言われています。

 この海運法師は寛文7年(1667年)8月24日に72歳で亡くなり、その後も教えを守り祈念する人には、ご利益を受けること顕著であったと言い伝えられています。このため、海運法師を人々はみな地蔵尊と崇め奉ったと言います。

 この尊像は当地では「あぼばらの地蔵尊」と呼ばれていますが、どうしてか他方では「あごなし地蔵尊」と名を変えて呼ばれています。今でもご利益を得ようとする人々がお参りに訪れており、その折に、お線香の代りに煙草に火をつけて供えたり、「歯という寄せ文字で煙草の葉の形を描いた絵馬」を奉納したりして祈願する習わしであるということです。

 また、この辺りの人々は幼少の頃より、歯が痛むと「煙草の灰」を患部に塗布することを親から教えられたと言われています。

 なお、阿保原地蔵さんは御影石に陰刻線彫りのお姿です。祭典は旧暦3月24日春、8月24日秋となっています。

興禅寺の白山社(宮城県)

 仙台市内から国道48号線で山形方面に向かう途中、熊ケ根橋を過ぎて右折。次の十字路右側に「興禅寺」はあります。その境内に「白山社」と刻字のある石祠があります。山門を入ってすぐ左側です。昔は歯痛に悩む者が治癒を祈願し、謝礼には萩の枝で作った箸を供えると伝えられています。

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