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歯の神様

堀辰雄の愛した石仏(長野県)

 長野県軽井沢町追分の泉洞寺境内にある石仏です。素朴な親しみ深い石仏で、左手で頬を押さえ、頭を左側に少し傾けた姿から「歯の神様」として村人から篤い信仰を受けています。

 作家・堀辰雄の愛した石仏として知られ、軽井沢町教育委員会が建てた立札には次のように書かれています。

14.7.30 白石市 阿梅の墓   立札
堀辰雄の愛した石仏 立札

 「堀辰雄は大正12年8月、軽井沢を訪れて以来30年間静かな軽井沢の自然をこよなく愛した。この石仏は堀辰雄の数多くの名作のひとつ「樹下」(「大和路・信濃路」)の文中にあって、素朴な姿に心を惹かれて、朝夕ここを散歩し、親しんだと言われており、いまでも村人に歯痛の神様として信仰されている」

有王塚と俊寛塚(三重県)

 治承元年(1177年)、真言宗の僧である俊寛は、藤原氏らと共に平家討伐の陰謀を謀ったと同志が平清盛に密告したため、これを知った清盛の怒りによって、成経らと共に喜界ヶ島に流罪の身となりました。

 その後、大赦が下された後も清盛の怒りは納まらず、ただ1人だけ、二度と都へ帰ることを許されず、赦免の日に俊寛は半狂乱となって赦免船に取りすがったそうです。

 俊寛は絶望のうちに流島の身として3年間をこの地で過ごし、苦悩の生涯を終えたと伝えられています。

 有王丸はこの俊寛の弟子で、喜界ヶ島に渡り、師・俊寛の悲惨なる最期を見届け遺骨を奉じて、これを高野山に納めた後、法師となって諸国僧行の旅に出るも途中、病死しました。

 その場所が有王塚の所在地で、伝説では有王丸は歯痛に悩まされ、これによって死亡したとも言われています。このため後世の人が”歯痛に苦しむ者を助けてくれる”として詣でるようになり、今でも時折、花香が手向けられているそうです。

 塚の前には昔は榎の木が植えられていて、この葉を飲めば歯痛が治ると信じられていましたが、現在、榎はなく、代わって松の木が植えられ、この松の木の皮を痛む歯でかむことによって歯痛が治ると伝えられています。

 他説によれば、有王丸は架空の人物とも言われています。

 現在、有志の方々が保存会を創り、毎年催事を行っているそうです。

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