広場へ > 全身とのかかわり > がん治療と口のケア −がん治療を乗り越えるために−

がん治療と口のケア −がん治療を乗り越えるために−

がん治療の進歩と口の関係

1981年以降、がんは日本人の死因第1位の病気です。最新のがん統計では、年間36万人近い方ががんで亡くなり、新たにがんと診断される人は年間75万人にのぼります。生涯のうち、日本人の男性2人に1人、女性では3人に1人はがんにかかると言われており、まさにがんは他人事ではない、身近な病気と言えます。
がんは一昔前までは不治の病といったイメージがありましたが、近年では治療方法もめざましく進歩し、がんは治る病気、あるいは長く共存できる病気になり、がん患者さんの6割は、治療を乗り越えて社会復帰を果たしています。

しかし同時に、がんの治療が強力に、かつ徹底的に行われるため、治療によっておこる副作用や合併症の問題も深刻になってきています。副作用が辛すぎると、がん治療を最後までやり遂げることが難しくなり、結果として治療の効果そのものが低下してしまうことも分かってきました。がん治療は「ただがんが治りさえすればよい」という段階から、「なるべく治療の苦痛は少なく、かつ安全にがん治療を乗り越える」ことにもきちんと目を向け、その上で治療の効果も当然確保することが求められる時代になってきたのです。

がん治療中には、口の中にも様々な副作用が高い頻度で現れます。口の副作用は、痛みで患者さんを苦しめるだけではなく、食事や会話を妨げ、口の細菌による感染を引き起こすなど、がん治療そのものの邪魔をします。そのため米国ではがん治療を開始する前に歯科で口のケアを受け、合併症を予防しようとすることが一般的になっています。このような「がん治療における口のケア」の取り組みが、日本でも注目されています。

抗がん剤治療による口の副作用

抗がん剤の治療中には、薬の副作用によって様々な口の副作用が起きます(表1)。その頻度は高く、米国の国立がんセンターの報告では、一般的な抗がん剤治療を受ける患者さんの約40%、造血幹細胞移植治療のような強い抗がん剤治療を受ける患者さんの約80%に口に関係する何らかの副作用が現れると報告しています。

口内炎は、口腔内合併症の代表的なものです。がんの種類や抗がん剤の内容によって、その頻度や重症度の差はありますが、ほとんどの抗がん剤治療で口内炎が認められています(写真1)。口内炎はふつう、抗がん剤投与から1週間から10日くらいで起こり、その後は自然に治っていくのですが、全身状態が悪かったり、口の清掃状態が悪く細菌が多いと、口内炎の傷から感染が起こり、症状が重症になったり治癒が遅れたりします。抗がん剤治療によって口内炎になった人の約50%が重症の口内炎のために、抗がん剤の投与量の減量や治療スケジュールの変更など、がん治療そのものに悪影響を受けています。

またほとんどの抗がん剤治療中は、骨髄抑制といって、細菌に対する体の免疫力が低下する副作用があります。がん治療中の吐き気やだるさなどで口の清掃が難しくなり口の細菌が増えることと重なると、口の感染症が非常に起こりやすくなります。また免疫力が低下した時の口の感染は、全身に広がってしまう危険もあります。

実際、むし歯や歯周炎などの歯の治療がされていない状態で抗がん剤の治療が始まってしまうと、今まで症状のなかった歯が急に悪化し、痛みや腫れが起こることがよくあります(写真2)。また細菌の感染に限らず、カンジダ(真菌:カビの一種)やヘルペスウイルスなどの特別な感染症も起こりやすくなります(写真3)

まだ今の医療では、残念ながら副作用をゼロにするような画期的な治療法がありません。しかし、副作用のリスクを下げ、少しでも症状を和らげ、一日でも早く治す為には、口の中を清潔で整った環境にしておくといった、いわゆる「口のケア」が有効であることが様々な研究で報告されています。「がん治療の開始前、できれば2週間前までには歯科を受診しておくこと」「がん治療中も継続して口腔内を清潔で良好な環境に維持するよう努めること」がとても大事です。

口の周囲に放射線が当たる治療による口の副作用

口や喉のがんで、放射線が口の周辺にあたる治療を行う場合は、ほぼ全員に口の中に何らかの副作用が現れます(表2)。口の副作用がひどくなると、治療を続けることができなくなってしまうこともあります。放射線治療は途中で止めてしまったりお休みをしたりすると、治療の効果が弱まってしまうことが知られています。そのため治療が最後まで予定通りに順調に進むように、口のケアによってできるだけ副作用を抑えていく必要があります。

放射線の口腔の副作用で最も重大なものは口内炎です。抗がん剤治療による口内炎と比べて重症で長引く傾向があります。放射線治療が始まり1〜2週間くらいで口の粘膜はだんだんと赤み帯びて、腫れぼったくなり、ひりひりとした軽い痛みを感じるようになります。その後治療が進むにつれて粘膜炎は強くなり、強い痛みが続き、重症の場合は水を飲むことも辛くなります。放射線治療が終わると通常は3〜4週間ぐらいかけて少しづつ粘膜は元に戻ってきます。しかしその途中で傷に感染を起こしたりすると、治りが遅くなることもあります。放射線による口内炎は、治療を最後までやり遂げることを邪魔する、大きな合併症です。口のケアによって症状を緩和し、二次的な感染のリスクを抑えます。

また放射線によって唾液の量は減り、ネバネバになります。この影響は年単位で長く続き、完全には回復しません。唾液が少ないと、口の中がガサガサと不快になり、食事の味も感じづらくなります。また汚れがこびりつき、口の細菌が増えやすくなるため、感染を起こしやすくなり、非常にむし歯ができやすくなります。そのため放射線の治療が終わったあと、急にむし歯だらけになってしまう(放射線性う蝕と言います)ということもあります(写真4)

そして最も重症な副作用が、放射線による顎骨の壊死(顎の骨が腐る)です。放射線が当たった顎の骨は、ちょっとしたことがきっかけで感染を起こし、壊死を起こすことがあります。最も多いきっかけは抜歯です。放射線治療が終わって何年か経過すれば安全に抜歯できるだろう、と思われがちなのですが、実際は放射線治療後何年経っても、顎骨壊死の危険性はほとんど変わらない、と言われています。放射線治療が終わった後も、抜歯をしなくて済むように定期的に歯科で口のチェックやケアを受け続ける必要があります。

骨を強くする薬による口の副作用

がんが骨に転移した時の治療の一つに、転移した部分の骨折などを予防し、痛みを和らげるために、骨を強くする薬剤(ビスフォスフォネート製剤や抗ランクル抗体といった、骨修飾薬と呼ばれる薬)を使用することがあります。この骨修飾薬を長い期間使用すると、顎骨壊死(顎の骨が腐る)という重症な副作用が起きることがあります(写真5)。この副作用の起こる割合は1〜2%程度と決して高くはないのですが、もし起こってしまうと痛みで食事や会話を妨げる上、治療に苦労することが多いため、起きないように予防することがとても重要です。

顎骨壊死の副作用は、口の衛生状態が悪く細菌が多いと起きやすく、また歯を抜いた傷から起きることが多いです。予防には骨修飾薬を使い始める前に必ず歯科を受診し、問題のある歯はあらかじめ抜歯をしておくこと、口を清潔に保つための衛生指導(歯ブラシ指導など)を受けておくこと、また投与中も口の衛生状態に気を配り、定期的な歯科のチェックやケアを行うこと、薬剤使用後は抜歯をできるだけ行わないことが大切です。

がんの外科手術を乗り越えるための口の管理

最近ではがんの手術を安全に乗り越えるため、手術前に口のケア受けることの有用性も注目されています。がんに限らず、全身麻酔で手術を受ける患者さんは、人工呼吸器のチューブが口から喉を通して気管の中に挿入されます(気管内挿管といいます)。この際、気管のチューブを通して肺に入り込んだ口の細菌が、術後肺炎の原因となることがあります。
また、チューブを気管に入れる時に、歯を痛めてしまい抜けてしまうこともあり、手術後の食事開始の妨げになることもあります。手術を受ける前にあらかじめ口のケアを行うことで術後の肺炎を予防し、歯を守り、手術後の食事開始を助けることで、回復を早める手助けとします。

また口や喉のがん、食道のがんなどでは、手術前に口のケアを行い細菌を減らしておくことによって、手術後の傷の感染や肺炎などの合併症を減らすことができた、というがん治療の成果そのものへの貢献も証明されつつあります。

手術を行う前に口腔のケアを取り組みが、全国様々な施設で広がっています(表3)

がん治療が始まる前に行う口のケア

がん治療中に起こる口の副作用への対応は、治療の開始後、つまり口のトラブルが起きてから対応するのではなかなか間に合いません。がん治療を始める前にあらかじめ口の中を清潔にして、トラブルが起きにくいように準備することが大事です。口の副作用が起きる可能性が高い治療を予定されている患者さんは、治療が始まる前に歯科を受診し、あらかじめ口の中を良好に整える管理を行ってからがん治療を行うのです。では、実際にがん治療前に歯科ではどんなケアを行うのでしょうか。

1)口の中の検査

大きなむし歯や歯周炎など、がん治療中にトラブルになりそうな歯がないかをチェックします。もしそのような歯があれば、がんの主治医の先生と相談しながら、最低限がん治療が落ち着くまで問題なく過ごせるように、応急的な治療を可能な範囲で行います。

2)口の中の掃除

口の中の細菌感染を防ぎ、治療時のトラブルを抑えたり軽くしたりするために一番大切なのは、『トラブルを引き起こす原因になる細菌の数を減らすこと』です。細菌の数を減らすためには、歯科のクリーニングの機械を使って歯石やプラークを徹底的にきれいにする、口の中の大掃除が必要です。

3)セルフケア指導

口の中の掃除が終了したら、その状態を保つために必ずやっていただきたいことがあります。それは『正しい歯みがき』です。

歯科でどんなに口をきれいにしても、その後にきちんとした歯みがきができていないと、すぐに細菌が繁殖してしまいます。口の中を細菌の少ない良い状態に維持するのは、患者さんご自身による口の管理(セルフケア)にかかっています。歯科で指導を受けた『正しい歯みがき』によって、効率よく口の清潔を保ちましょう。あなた自身の手で細菌から体を守って下さい。

がん治療時に口の副作用が現れたら

1)口内炎

抗がん剤や口への放射線によって起こる口内炎を抑える画期的な薬の開発には、もう少し時間がかかりそうです。起きてしまった口内炎の対策は、(1)口の中をきれいにして、感染を予防する(2)口の中を潤った状態に維持し、乾燥させないようにする(3)痛みを和らげるよう、様々な痛み止めをしっかり使うこと、この3つが基本になります。

  • (1) 感染予防

    口内炎に感染を起こすと、痛みは急に強くなり、治りも遅れます。感染予防には、歯ブラシによる口の清掃が基本となります。痛い部位に触れないよう、やさしく歯ブラシを行います。またカンジダ(カビの一種)やヘルペスといった特殊な感染が起こることもあります。カンジダの感染は「じっとしていてもヒリヒリ、ピリピリする痛み」が、ヘルペス感染は「針で刺すような激しい痛み」が特徴です。急に口内炎の痛みが悪化した時は、感染が起こっている可能性がありますので、早めに医師、看護師またはかかりつけの歯科医師に相談しましょう。

  • (2) 保湿

    粘膜が乾燥すると、痛みは強くなりやすく、感染も起きやすくなります。軽度の口内炎は、口が潤っただけで症状が和らぎます。うがいを頻回に行い、粘膜が乾かないようにします。

    アルコール(エタノール)を含むうがい薬は、粘膜の水分を奪うので使用を控えます。保湿効果の高いうがい薬や、ジェル・軟膏・スプレーなど自分の症状にあったものを選んで使います。

  • (3) 痛みの緩和

    痛みを我慢しても、良いことは一つもありません。粘膜炎の痛みには、痛み止めの薬が効きますので、主治医の先生に相談して、しっかり痛み止めを飲みましょう。また、表面麻酔薬という粘膜の知覚を一時的に麻痺させる薬を痛む部位に直接塗ったり、うがい薬に混ぜて使うことで、痛みが和らぎ食事が摂りやすくなります。

2)口の感染症

むし歯や歯周病の悪化など、口の感染が起きた場合は、歯科での治療や処置が必要になります。がん治療中に歯科の治療を受けるためには、がん治療の妨げとならないように、必ずがんの主治医や歯科医師と相談して行ってください。がんの治療中でも安心して歯科を受診できるよう、厚生労働省が認めた講習会で研修を受けた「がん連携歯科医院」も増えてきています。ぜひご活用ください(表4)

しかし、何よりも予防が大切です。口の感染症がなるべく起きないように、がん治療が始まる前に歯科を受診して、がん治療前であること、これからのがん治療のスケジュールを歯科医師に説明し、むし歯や歯周病のチェックや、応急的な処置を受けておきましょう。

口の健康は、がん治療を支えます

長く大変ながんの治療中は「食べる」ことが患者さんにとって、とても大変な作業になることがあります。健康な口でしっかり食べられることは、体力を維持し、つらい治療を乗り切るために、とても大事です。 そしてがん患者さんの口の健康状態は、口の副作用の発生や重症度に関連します。口を清潔で健康な状態に維持することは、がん治療のあらゆる段階で重要です。

是非がん治療開始の「前」に歯科を受診して、口の中を安定させてからがん治療に臨んでください(もっと言えば、がんになってからではなく、日頃からかかりつけ歯科をつくり、口の定期ケアを受けていただければと思います)。

そしてがん治療中に口の副作用が出た場合は、我慢をせずがんの主治医と相談して、歯科を受診してください。がん治療中だからと歯科を敬遠するのではなく、がん治療中だからこそ、歯科で口の中をしっかりと管理しなければなりません。がんの治療を安全に、苦痛少なく乗り越えるためには「口から自然な形で、おいしく食事が食べられること」が、大きな鍵の一つなのです。

参考文献

  • 国立がん研究センターがん対策情報センター:がん統計情報
    http://ganjoho.jp/public/statistics/index.html
  • 全国共通がん医科歯科連携講習会テキスト 第一版:平成24年度厚生労働省・国立がん研究センター委託事業:国立がん研究センターがん対策情報センター編:2013年
    http://ganjoho.jp/professional/med_info/koshukai_text.html
  • National Cancer Institute
    HomePage : http://www.cancer.gov/
  • MASCC:Multinational Assosiation of Supportive Care in Cancerのガイドライン:Hadorn D, Baker D, Hodges J, Hicks N. Rating the quality of evidence for clinical practice guidelines. J Clin Epidemiol. 1996;49:749-754.

国立がん研究センター 口腔外科医長 上野尚雄

ページトップへ