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日本歯科医師会の紹介

沿革・略年表

沿革

日本歯科医師会は、1903年(明治36年)11月の設立以来、100有余年を経過しています。

ここでは、日本歯科医師会の始まり、組織と名称の沿革、主な出来事等を簡潔に記すこととします。

1. 日本歯科医師会の始まり 1903年(明治36年)
2. 大日本歯科医会時代 1903年~1907年
(明治36年~明治40年)
3. 日本聨合歯科医会時代 1907年~1918年
(明治40年~大正7年)
4. 日本聨合歯科医師会時代 1918年~1926年
(大正7年~大正15年)
5. 第1次日本歯科医師会時代 1926年~1943年
(大正15年~昭和18年)
6. 第2次日本歯科医師会時代 1943年~1948年
(昭和18年~昭和23年)
7. 社団法人日本歯科医師会時代 1948年~2013年
(昭和23年~平成25年)
8. 公益社団法人日本歯科医師会時代 2013年~現  在
(平成25年~現在)

1.日本歯科医師会の始まり

交通も不自由であり、歯科医師の数も少なかった1890年代、日本各地に歯科医師の団体ができ始めました。その頃、医師の団体が医師法制定を目指して活動を始めたことを受け、歯科医師においても全国的な歯科医師の団体の設立が急務でした。1903年(明治36年)に大阪で内国勧業博覧会が開催された際、全国より200名余の歯科医が参集して懇親会が開かれました。この席上で、全国各地にある歯科団体をベースにし、もしくは新設して全国的な歯科医師会を組織することを決定しました。13名の委員を選出し、5回にわたる委員会で準備を進めました。その年の11月27日、東京・京橋にあった地学協会の講堂に全国から114名の歯科医師が集い、「大日本歯科医会」の発会式が行われました。これが、全国組織の歯科医師団体である『日本歯科医師会』の始まりです。

2.大日本歯科医会時代

期間 1903年(明治36年)11月27日~1907年(明治40年)3月31日
会長 高山紀斎[1903年(明治36年)11月27日~1906年(明治39年)12月]
(高山紀斎 1906年(明治39年)12月辞任、同年12月より榎本積一会長代行)

大日本歯科医会の活動の主な目標は、歯科医師の身分や業務を確立する歯科医師法の制定でした。1904年(明治37年)10月、歯科医師法草案がまとめられ、1906年(明治39年)3月に医師法と同時に貴族院で可決成立、5月2日に公布となりました。日本歯科医師会では、この日を歯科医師記念日と定めました。

3.日本聨合歯科医会時代

期間 1907年(明治40年)4月 1日~1918年(大正 7年)3月31日
常務委員長 榎本積一[1907年(明治40年)4月 1日~1918年(大正 7年)3月31日]

歯科医師法の制定に伴い、歯科医師会規則が公布され、これに基づいて、各地区に公的な歯科医師会が設立されるようになりましたが、人数の少ない地方ではそうもいきませんでした。そこで、いろいろな性格の歯科医師の団体ができたので、その連絡機関として日本聨合歯科医会が誕生しました。

この日本聨合歯科医会は、歯科医師試験規則の制定や、医師に歯科医業を禁止する問題などに直面し、のちに歯科医師法改正運動に発展しました。そして、1916年(大正5年)、医師が内務大臣の許可を受けずに歯科医業を行うことを禁止する条項等を加えた歯科医師法の改正に成功しました。

また、公衆衛生運動や学校歯科医、陸海軍に歯科軍医を設置する運動が開始されたのも、この時代です。

4.日本聨合歯科医師会時代

期間 1918年(大正 7年)4月 1日~1926年(大正15年)11月 9日
会長 榎本積一 [1918年(大正 7年)4月 1日~1918年(大正 7年)12月 7日]
(榎本積一 1918年(大正 7年)12月 7日辞任、同年12月 8日より血脇守之助会長代行)
血脇守之助 [1919年(大正 8年)4月15日~1926年(大正15年)11月 9日]

歯科医師会規則による公的歯科医師会が地方に続々と設立されたので、会の名称も日本聨合歯科医会から、日本聨合歯科医師会と改めました。役員は再び会長制とし、代議員制度(都道府県会長会議)を導入しました。

この期間には、口腔衛生の普及、初のムシ歯予防デー実施、小学校への歯科衛生施設の設置、学校歯科医と歯科軍医制度の実現、産業歯科衛生の問題、歯科医師の課税問題等について政府に申し入れを行っています。

5.第1次日本歯科医師会時代

期間 1926(大正15年)11月10日~1943(昭和18年) 1月27日
会長 血脇守之助[1926(大正15年)11月10日~1943(昭和18年) 1月27日]

歯科医師法の改正により、歯科医師会は強制設立の公法人となりました。この改正により、1926年(大正15年)11月10日に日本聨合歯科医師会は「日本歯科医師会」として改めて認可され、再発足しました。これは健康保険法の施行に伴い、政府や健康保険組合等との公式の交渉団体としての性格をもつためのものでした。

この期間には、保険診療についての契約、支払方式、診療方針等の問題について政府と協定の取り決めを行いました。また、多年の念願であった学校歯科医制度 <1931年(昭和6年) > と歯科軍医制度 <1940年(昭和15年) > も実現しています。また、1931年(昭和6年)には学校歯科医大会を実施し、1932年(昭和7年)には学校歯科医会を発足しました。ほかには、1928年(昭和3年)のムシ歯予防デーの実施、1938年(昭和13年)の厚生省の設置、歯科材料等の配給統制などがありました。

6.第2次日本歯科医師会時代

期間 1943年(昭和18年)1月28日~ 1948年(昭和23年)3月31日
会長 血脇守之助[1943年(昭和18年)1月28日~1946年(昭和21年)2月10日]
加藤清治 [1946年(昭和21年)2月11日~1947年(昭和22年)12月26日]
(加藤清治 1947年(昭和22年)12月26日辞任、同年12月26日より西村豊治会長代行)

名称は日本歯科医師会としてまったく変わっていませんが、1942年(昭和17年)に国民医療法の制定に基づいて、歯科医師会は医師会とともに国策遂行のための国策団体となり、強制設立、強制加入の団体として性格はまったく異なるものとなりました。これにより、歯科医師はすべて歯科医師会の会員となることが義務づけられ、その役員は任命制となり、日本歯科医師会は厚生大臣が、都道府県歯科医師会は知事が任命するものとなりました。また、代議員の半数は任命となりました。

この間に、歯科医師の補習教育、いわゆる錬成、挺身歯科診療活動などが行われました。

7.社団法人日本歯科医師会時代

期間 1948年(昭和23年) 4月 1日~2013年(昭和25年)3月31日
会長 佐藤運雄[1948年(昭和23年) 4月 1日~1952(昭和27年) 3月31日]
入交直重[1952年(昭和27年)4月 1日~1954年(昭和29年) 3月31日]
小椋善男[1954年(昭和29年) 4月 1日~1958年(昭和33年) 3月31日]
佐藤運雄[1958年(昭和33年) 4月 1日~1960年(昭和35年) 3月31日]
河村 弘[1960年(昭和35年) 4月 1日~1962年(昭和37年) 3月31日]
中原 實[1962年(昭和37年) 4月 1日~1968年(昭和43年) 3月31日]
竹中恒夫[1968年(昭和43年) 4月 1日~1970年(昭和45年) 3月31日]
奥野半藏[1970年(昭和45年) 4月 1日~1972年(昭和47年) 3月31日]
(奥野半藏 1972年(昭和47年) 1月26日辞任、同年 1月27日より稲葉福次会長代行)
中原 實[1972年(昭和47年) 4月 1日~1976年(昭和51年) 3月31日]
川崎 勇[1976年(昭和51年) 4月 1日~1977年(昭和52年) 1月27日]
(川崎 勇1976年(昭和51年)12月15日辞任、稲葉 宏会長代行)
山崎数男[1977年(昭和52年) 1月28日~1991年(平成 3年) 3月31日]
中原 爽[1991年(平成 3年) 4月 1日~2000年(平成12年) 3月31日]
臼田貞夫[2000年(平成12年) 4月 1日~2004年(平成16年) 4月23日]
(臼田貞夫2004年(平成16年)4月23日辞任、井堂孝純会長代行)
井堂孝純[2004年(平成16年) 5月21日~2006年(平成18年)3月31日]
大久保満男[2006年(平成18年) 4月1日~2013年(平成25年)3月31日]

戦時下の国策団体としての日本歯科医師会は、終戦によって当然改組が問題となりましたが、1946年(昭和21年)10月、連合軍総司令部からの覚書によって改組協議会がつくられ、その成案に基づいて、民法上の社団法人として、再発足することとなりました。1947年(昭和22年)9月15日に厚生省の定款認可がおり、1948年(昭和23年)4月1日より社団法人日本歯科医師会として発足しました。

社団法人として当然のことであります、任意加入、任意設立の団体であり、同時に各都道府県歯科医師会も独立した社団法人となりました。

8.公益社団法人日本歯科医師会時代

期間 2013年(平成25年) 4月 1日~現在
会長 大久保満男 [2013年(平成25年) 4月1日~2015年(平成27年) 6月19日]
髙木  幹正 [2015年(平成27年) 6月19日~10月16日]
(髙木  幹正2015年(平成27年)10月16日辞任、山科 透会長代行)
山科 透 [2015年(平成27年) 10月21日~2016年(平成28年) 3月11日]
堀 憲郎 [2016年(平成28年) 3月11日~現在]