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歯の神様

埼玉のお地蔵さん(埼玉県)

川越広済寺 無腮地蔵(左側)
川越広済寺 無腮地蔵(左側)

 広済寺は川越市喜多町にあります。由緒ある古いお寺です。山門を入ってすぐ右側にお堂があります。左側には「無腮地蔵尊」が、右側の地蔵尊は「シャブキバァバァ」と呼ばれ、荒縄でぐるぐる巻きにされています。このお地蔵さんは咳や喘息に大変なご利益があると言われ、百日ぜきや風邪などに苦しんでいる人々が荒縄でぐるぐる巻きにして願をかけるという習わしで、全快したら縄を解き、お礼にお茶と金平糖を納めるそうです。現在でもこの風習は残っていてお茶や金平糖に変わってお賽銭が奉納されています。

 左側の「無腮地蔵尊」には顎がありません。顎が無いということで、歯痛も無いというわけで、昭和の初め頃まで歯痛で悩んでいる人がお参りに来たということです。治ったお礼にはヤナギの枝で作った楊枝を奉納したそうです。

歯軋り祈願(埼玉県)

歯斬り祈願
歯軋り祈願

 これまで「歯の神様」の資料に取り組んできた中で、「馬」に関わる事例について触れてみます。

 古来から口中の悩みといえば、「むし歯」と「歯槽膿漏」の二大疾患です。歯の痛みは我慢できないほどの悩みで、苦痛から逃れようと切腹した例もあるほどです。

 これほどの痛みとは対称に、本人が恐らくあまり感じない悩みに「歯軋り」があります。あの「キリキリ」とか「ギイギイ」などの甲高い音は、聞く側の人はそれこそ歯が浮く思いです。現代医学では歯軋りの対応策として、精神的療法、マウスピース等の着用、かみ合わせの調整など、いくつか考えられますが、昔の人々はどのようにこの悩みから逃れようとしたのでしょうか。


その1

歯斬り祈願
歯軋り祈願

 埼玉県所沢市=西武池袋線西武球場前下車、駅前より徒歩5、6分で目指す「山口観音」に着きます。

 山口観音は弘法大師にゆかりのある由緒ある古刹で、1333年に新田義貞が鎌倉攻めに際して戦勝祈願をしたことで有名です。

 入口の右側に等身大の白色の木馬がいます。これは新田義貞が鎌倉攻めに乗った愛馬を模した「神馬」です。

 ここの住職に聞いた話によると、馬舎が新しくなり、今はなくなっていますが、以前この馬舎の前に次のような内容の掲示があったそうです。

勝運
新田公霊馬
私ハ新田公ノ霊馬ト申シマス 公ノ御供仕リ鎌倉入リアリ忠誠ヲ盡シマシタ故ニ公ノ仰セニヨリ当山ヲ守護シ後世ヲ送リマシタ 私ヲ崇拝スル人ハ歯ヲ咬ム事ハ有リマセン 凡テ勝負スル人 夜歯ヲ咬ム人ニ利益ヲ与ヘル 去ル昭和四十三年十一月解脱会有志ノ奉仕ニ由リ復元致シマシタ

 「夜歯ヲ咬ム人」とはつまり歯軋りを指していることでしょうし、「勝負スル人」とは、すべての勝負事、つまり今でいうギャンブルを指していることです。勝負に負けて悔しまぎれに歯軋りをすることがない、ということで、勝運を授けるということになります。

 最近では近くに西武園競輪場や西武球場があり、ここへ訪れる人の中で勝運を願う人が手を合わせる姿が見受けられるということです。

 因みに境内に植えられている桜の木は、新田義貞が鎌倉攻めの折りに、この枝を折って鞭として使ったと言われる由緒ある木だそうです。

歯痛観音 想い出だけを残す観音様(埼玉県)

 埼玉新聞に「歯痛観音」という見出しの記事がありました。書き出しは次のようなものです。

 「浦和市郊外、南部領辻地区は農家が点在するのどかな所だ。そんな畑の一角に、村の暮らしを、見守ってきた歯痛観音がある。昭和十二年九月に修復されたものを瓦屋根の破損で、このたび岩槻市の宮大工さんの手によって銅板葺(ぶ)きの屋根になった」・・・というものです。

 「歯痛観音」の祠は、この辺りの昔からの住民一族の墓地の一隅にありました。

 何代か前よりこの地に住んでいる老夫人によれば、「子どもの頃、歯が痛くなった時連れて来られたことを覚えています。お参りした折には奉納された歯ブラシを家に持ち帰り、口にくわえたことを記憶しています。治ったら新しい歯ブラシを持ってお礼参りに行きました」。昭和初期頃までのことだったそうですが、「歯科医院ができた最近ではお参りする人の姿も見られなくなってちょっと淋しい」とのことです。

 この辺りは神社仏閣より、庶民の中に生まれた路傍の石仏・地蔵が、痛みや悩みを癒してくれる、唯一の寄り所となる存在であったわけで、民間信仰の原点をうかがい知る真の姿ではないでしょうか。

如意輪観音石仏(埼玉県)

如意輪観音石仏
如意輪観音石仏

 埼玉県東部に片柳という地区があります。大宮駅前からバスで約20分ほどのところです。根木輪バス停下車。進行方向に200mほど進み、右側にコンビニ「もりや商店」を目印として右折し、10分ほど歩いた右側道ばたに古ぼけた石仏がひっそりと立っています。高さが80cmほどの如意輪観音です。石仏を管理している方に話を聞くことができました。

 この辺り一帯は畠と雑木林だけの土地柄で、昔はこの石仏もそんな中に立っていたそうです。明治のはじめ頃、現在の通路ができたのを機に、多くの人々にお参りしてもらおうと、先祖が現在地に移したのだとお聞きしました。

 石仏の左側面には天明6年(1786年)丙午7月吉日、右側面には願主・久兵衛 邑女・請中の文字が刻まれています。如意輪観音は女性の願いを叶えてくださる仏と伝えられています。特に祭事をすることはなく、珍しいものを作った時にお供えしているそうです。

 近隣の人が時折お参りしているそうですが、特に歯の痛む時にお参りすると治ると言われており、「歯の神様」として現在でも信仰されています。

光智山法泉寺 遊女を助けた修行僧(埼玉県)

光智山法泉寺
光智山法泉寺

 埼玉県秩父市別所にある光智山法泉寺は、秩父観音霊場の第24番札所です。

 加賀の白山を開いた泰澄大師が養老7年(717年)に武蔵を巡錫して秩父の地に至りて荒川を見下ろす丘に来て小息をしていた時、夢のなかに気高き姫君が現れ、大師の眼前で腰にさげた剣を抜き、手近の古木を3本に分け、その1本で「大師に誓いて聖観音を刻す。我こそは日の神なり」と告げて、見事に観音像を彫りました。「残り一片は大師の意のままに・・・」と、残り木をさし出した時に山鳴りがして三桂の神が現れ、「われらこそこの霊場を守り奉る」と約束しました。三桂の神のひとつは「十一面観世音の化身」の白山姫であることから「大師はこの姫君が白山姫であることを悟り、姫君の刻した聖観音像をおし戴き、残り木で箸を作って諸人に与えました。この箸が万病を除くものと信じられ、後に木の枝を削って与えるようになった」と言われています。

 当寺には「法泉寺の夢想の楊枝」という伝説が残されています。秩父札所(観音霊場への誘い)には次のように記されています。

「観音霊験記(恋が窪の遊女)」
  当社は、越の泰澄毘廬遮那仏の勅によって、加賀の白山を此所に勧請せり。本尊は天照大神の御作といい伝うるを誹るものあれども、昆廬遮那は是日輪にましませば、據なきにもあらず。

 往昔、恋が窪の遊女、口中の病になやみて、種々の良薬を用いたれども、さらに験なかりにし、秩父の僧とて日日修行に来たりしに、よく是に手の内を施しければ、1本の楊枝をあたえて、白山の観音を信じてこの楊枝を用いなば、口中の煩いたちまち癒べしと教えしかば、歓びて、客人の送りむかいにも忘るることなく信心して、かの楊枝を以て口中をそそぎしかば、忽ち癒たり。しかるがゆえ、今も当寺より夢想の楊枝を出せば、是を受けて利益を蒙るものまた少なからず。

 このような縁起話によるものなのでしょうが、境内でクロモジの木で作った楊枝が売られていた一時期もあったと言われています。「クロモジの爪楊枝を使うと、たとえ歯ぐきを傷つけても化膿しない」と人気があったようです。

 祭礼の4月18日には地元の人々が本堂前に集まり、「廻り念仏」を行う習わしがあります。境内に輪になって座り、長さ10mほどの大数珠を念仏を唱えながら順次隣の人に繰り回す。
 観音様への帰依と、祖先の霊への供養、わが身の後生安楽を祈念されています。

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