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歯の神様

白山神社

 全国各地に白山神社は多数見受けられます。「白山社」「はくさんさん」などと称されているものも同系列と思われますが、その総数は把握できていないものの、歯の神様として信仰されている白山神社は数多くあるようです。

 白山神社と歯の神様との関連は今のところ確認されておりませんが、一説によりますと、昔の人々が歯の悩みの多くは歯槽膿漏であり、しっかりした治療方法もない時代ですから患部は悪化が進み、化膿による口臭から「はくさ」が訛って「はくさん」となって白山神社が信仰の対象となったとも言われています。また、祈願の際に授かるものや、お礼に箸を供するなど共通する点も多いようです。

白山信仰

 日本三名山の1つと言われている「白山」は、越前(福井県)、加賀(石川県)、美濃(岐阜県)の三国にまたがる休火山です。主峰の御前峰は海抜2707mで昔から霊山として崇敬され、信仰や伝説で知られています。この山頂に祀られている白山比盗_社はご祭神に白山比淘蜷_を迎えています。

 この白山が信仰の対象として仰がれるようになったのは大化の頃と言われ、その後の奈良時代から平安時代に山岳信仰が盛んになった時代の中で、白山にも養老1年に越の大徳と言われた泰澄大師が初めて参拝しました。それ以降登山口に修験道場が設けられて、ここを中心として全国的に白山信仰が盛んになったのです。現在でも白山信仰は石川県や新潟県周辺を中心に広く分布しています。

 白山大明神がなぜ「歯の神様」として崇められ、信仰の対象となったのかについては、次のような談があります。

 祭神・比淘蜷_はもともと歯の神であった。歯槽膿漏症による「歯臭(はくさ)」が「白山」になった。

「歯の神様」と「歯の塚」との違い

「歯の神様」と「歯の塚」とは、どう違うのでしょうか。

「歯の神様=痛み、悩みを癒す」

 歯の神様信仰の起源について振り返ってみましょう。

 江戸時代に歯の痛み、悩みを癒す療術者(口中医)の存在は、当時の権力者、実力者と言われる殿様や武将、豪商などの一部の人たちのお抱えということで、一般庶民には無縁のものでした。

 このような世相の中にあった一般庶民が歯の痛み悩みに遭遇した時に、苦しい時の「神頼み」と「まじない」などに頼らざるを得なかったのです。

 また、歯の痛みは人生において最も耐え難い苦痛であると自刃したり、生きながらに土中に埋葬されたり、死に直面して「死後わが霊を詣でるなら、歯痛に悩む者を助ける」と遺言を残した者など、歯の痛みはその当時の人々にとって生死に関わる重要な問題だったのも信仰の理由として挙げられます。それだけ多くの人が歯について悩んでいたからこそ様々に祈願する理由を供えた種々の神社仏閣・石仏などが全国各地に約300カ所位残っているのではと推測されています。

「歯の塚=歯牙の供養」

 では、歯の塚とはどのような性格を持っているものなのでしょうか。

 1988年、神奈川県歯科医師会元会長・加藤増夫先生が『歯の塚探訪』を出版され、これにより歯の塚の存在がクローズアップされました。また、これを基に仙台の杉本是政先生は「碑、塚、塔」と呼称分類を発表しましたが、建立の主旨は、「歯牙」を供養するという意味から、同一視しても良いのではいでしょうか。

 最も古い建立は1797年ということですが、大部分は昭和時代に建てられています。その目的は、抜いた歯、抜け落ちた歯を供養するためで、健全であった時には食物の咀嚼、栄養の摂取、健康の維持など生命への貢献には欠かせない存在でした。やむを得ない何らかの理由で抜去され、また脱落したからといってそのまま廃棄処分(一部は教材に使用されているようです)にしては申し訳ないという心情から、これを供養しようと「歯の塚」を建て感謝の意を表しようというのが立案だったのです。

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