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1.警察歯科医とは

警察歯科医は、警察署からの依頼を受けて、身元不明のご遺体の歯や口の中の状態(※歯科所見)と、生前に歯科治療を受けた際のカルテ記録やレントゲン写真などを照らし合わせて、該当者本人の確認などを行います。このような歯牙鑑定を行う警察歯科医は、以前から全国で献身的な活動をしてきましたが、昭和60年の日航機墜落事故を契機に、テレビや新聞などで紹介される機会が多くなりました。またその頃から、各都道府県の歯科医師会を中心とした警察歯科医の組織化が進み、○○県警察歯科医会などと呼ばれる組織が全国にできました。

現状では、分かっている範囲で、全国で年間約2,000件以上の歯牙鑑定が、警察から警察歯科医へ依頼されるなど、その果たすべき役割が、益々大きくなっています。

ご遺体の個人識別(身元を特定する)に用いるデータには、歯科所見、指掌紋、DNA型などがありますが、身元確認が長期化するような場合には、主として歯科所見とDNAが用いられ、とりわけ歯科所見の有効性が広く証明されています。2001年のニューヨーク世界貿易センタービルの際には身元が判明したご遺体の約35%、2004年のスマトラ島沖地震によるタイの津波災害では約56%が歯科所見により身元確認ができたとの報告があります。

歯は人間の身体の中で、最も硬度に優れ、高温にも耐えうる組織です。また、歯は乳歯列で20本、永久歯は智歯を含め32本ありますが、これら全ての歯の状態が近似しているケースは極めて少ないため、大規模災害などで多数遺体が発生するような場合に、生前歯科データと死後歯科データから、高確率の絞り込み(スクリーニング)を行うことが可能です。何よりも皆さんの歯科情報が、かかりつけの歯科医院で保管されていることが、大きな特長です。

一般的な身元確認の方法
  • 面確(顔をみて確認する)
  • 身分証明書、所持品、着衣
  • 身体的特徴
  • 指紋
  • 歯科所見(歯や口の中の状態)=歯は遺体が腐敗しても永く残る
  • DNA型

2. 警察歯科医が行う業務と、歯科情報から推測できること

検視・検案にかかわる警察歯科医の業務は、警察からの協力要請にもとづいて行う、身元確認作業が主となります。法律では、「検視」というのは、刑事訴訟法第229条にもとづき、犯罪に起因する死体かどうかを判断するために、医師の立ち会いのもとに検察官あるいは警察官が死体の状況を調べることをいいます。したがって、歯科医師が行う業務は、「検視」の補助行為として遺体を検査し、生前の歯科記録などと照らし合わせて、身元確認に役立てることを主目的としています。

警察歯科医による身元確認の仕事のながれは、以下の通りです。

(1) 身元不明のご遺体があがり、警察が警察歯科医へ出動を要請します。
(2) 普段は歯科診療に従事している歯科医師が、警察歯科医として出動し、ご遺体のデンタルチャート(歯科記録)やレントゲン撮影、口の中の写真撮影などを行います。
(3) 警察が地域の歯科医療機関や歯科医師会に照会をかけ、該当しそうな人物の治療記録を提出してもらいます。
(4) 提出された生前記録と、ご遺体の歯科所見にもとづいて、警察歯科医が照合にあたり、鑑定書を作成します。また最近では、歯科の照合解析ソフトが開発され、絞り込み(スクリーニング)に活用されています。
(5) 最終的には、歯科所見、指紋、DNA型などの検査結果を勘案し、警察が総合的な判断をします。
ご遺体の歯科所見から推測できること
  • 歯や顎の大きさから、男女が推測できる。
  • 歯のすり減り方や劣化の状況から、年齢が推測できる。
  • 治療の痕跡から、治療した歯科医師の年齢階層やクセが推測できる。
  • 同じく、技工物(かぶせ物や義歯など)にも特徴がでる。
  • 一般に、歯科医師は治療した歯のことを、よく記憶している。

3.近年の事例から

次に、国内外で実際にあった、警察歯科に関連した事例をいくつかご紹介します。

(1) 日航ジャンボ機墜落事故(1985年)
犠牲者が520人であったのにも拘らず、事故現場から搬出され検視された遺体総数は何と2,065体に上りました。つまり、ほぼ五体がそろったご遺体は177体のみで、身元が判別できない膨大な量の遺体片が残されたわけです。歯科所見の有用性が、社会に周知されるきっかけとなった事故でした。
(2) 阪神・淡路大震災(1995年)
兵庫県警察歯科医会を中心として、1班3名体制で3班の歯科医師チームが常設され、24時間体制がとられました。最終的には、約1ヵ月間に延べ159名の歯科医師が、68名の身元確認を実施しました。
(3) 尼崎JR脱線事故(2005年)
警察歯科医11人で、乗客十数名の検視を担当しました。うち身体的特徴や服装などから身元確認ができなかった1名について、該当者とみられる方の歯科治療記録とご遺体の歯科所見を照合し、発生から3日目に特定されました。
(4) アメリカ同時多発テロ(2001年)
2005年5月のニューヨーク市検視官事務所の発表によると、身元が判明した犠牲者は2,998中1,588人でした。このテロでは、歯型も残らないほどご遺体の損傷が激しく、半数近くがDNA鑑定によりましたが、約35%は歯科所見が決め手となったとされています。
(5) スマトラ島沖地震(2004年)
死者、行方不明者は12か国22万人以上に達し、この内20万人が震源地に近いインドネシアでした。またタイでも約5,000人が犠牲となり、発災してから約半年後の統計によると、身元が判明できたご遺体は約半数で、この内、歯科所見によるものが約56%とされています。

大規模災害時などの現場で、身元確認が円滑に進まないと、遺体の腐乱による伝染病の発生など、衛生面の問題が懸念され、またご遺族の精神的負担、経済的負担を少しでも軽減する上からも、正確かつ迅速な対応が求められます。

4.東日本大震災での活躍

平成23年3月11日に発生した東日本大震災では、多くの歯科医師が身元確認作業に従事しました。発災当初から、被災地の県警に協力して、被災者でもある地元の歯科医師が身元確認作業を開始しました。また同時に、警察庁から日本歯科医師会への要請にもとづいて、全国の歯科医師会に出動をお願いしたところ、わずか数日間で1,100名を越える応募がありました。

その後は、当初の5ヶ月間で、延べ約2,600名の歯科医師が過酷な身元確認作業にあたり、約8,750体ものご遺体の歯科所見を採取して照合に貢献したことが、メディアなどを通じて広く報道され、社会の注目を浴びました。

ただし、津波によって歯科医院のカルテやX線写真が流失したことなどにより、被災地の歯科医師会と警察を中心とした生前の歯科資料の収集と、収集したデータをパソコンへ入力する作業は困難を極めました。歯科医師がご遺体の口の中を丹念に検査できたとしても、生前の記録が確実かつ円滑に収集できないと、身元の特定に繋げることは難しいのです。

また、これは身元確認とは別の話ですが、東日本大震災では大津波により町に1か所も歯科医院がなくなってしまった地域がありました。そこでは地域歯科医療の崩壊により、治療の継続ができなくなった患者さん、義歯を無くしたお年寄りなどが、行き場をなくし大変苦労されました。そんな方々に対して、被災地の歯科医師会の歯科医師、あるいは全国から支援出動した歯科医師が、基幹避難所(学校や体育館など)の中に設けられた仮診療室や、歯科診療車による巡回診療などにより、治療や口腔ケアにあたりました。現在でも、仮設住宅などへの巡回は続けられています。

5.歯科所見のデータベース化

日本歯科医師会では、これまでの事故や災害などの経験から、大規模災害などが実際に起きてから生前の歯科記録などを集め始めるのではなく、事前にデータベース化しておくことが出来れば、身元確認の精度が高まり、かつ作業が迅速化されると考えています。

国民の皆さんの治療記録が、かかりつけの歯科医院に保管されていますが、これまでのように、人海戦術でカルテやX線写真などの歯科記録を収集するためには、膨大な時間と労力を要します。また、収集したカルテなどから身元確認に必要な情報をパソコンに入力したり取り出したりする作業にも、同様に膨大な時間と労力を要します。したがって、歯科所見をコード化(記号で表し体系化する)したものをデータベースにすることができれば、身元確認作業の精度や効率性を大幅に向上させることが可能です。

ちなみに、オーストラリアのビクトリア州では、州民の生前歯科記録のデータベース化がすでに実施されていて、歯科所見による身元の判明率は97%にも及ぶと聞いています。

日本でも、指掌紋は一部データベース化されていますが、遺体損傷に対する耐性や精度、コストなどを総合的に判断すると、データベース化に最も適正が高いのは歯科所見ではないでしょうか。

データベース化については、まずは、国民の皆さんがかかりつけの歯科医院で治療後の歯科所見(全ての歯の状態をコード化したもの)を登録する。次に歯科医院から直接、あるいは地域の歯科医師会などを通じて、データを国や都道府県、または第三者機関が運営するデータセンター(仮称)へ送信し保管する。さらに大規模災害の発生時などにデータを抽出し個人識別のために利活用する、というようなフローを想定しています。

日本歯科医師会 副会長 柳川 忠廣

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