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1.口の役割

「おいしい」という言葉は、幼児が比較的早く覚える言葉です。大好きなお父さんやお母さんから、おいしいものを口元に与えられ、口いっぱいで味を感じ、その口で感動を「おいしい」という言葉に変えて伝える。おそらく、そんな自然な流れから出る言葉なのでしょう。そして、天寿を全うする時には、家族やお世話になった人たちに感謝の「ありがとう」を伝えられる口でありたいと思います。口は食事を食べる時に、または会話をする時に、そして息をする時に、はたまた家族や恋人と愛を交わす時にも活躍します。口は、生きるためのそして幸せのための器官ともいえるのです。

2.口腔ケア

こんな大切な口を守るためには、口へのいたわり(口腔ケア)を忘れてはいけません。口は食べ物の入り口であるために、常に栄養が豊富な場所といえます。そして、常に唾液で濡れていることや、一定の温度に保たれていることから、微生物にとって実に快適な場所といえます。通常、口の中には大変な数の微生物が存在するといわれています。しかし、これらの微生物は口の中の環境を一定に保つためにも有効で、いわば善玉菌の集まりといえます。

一方、ひとたび、口の動きが十分でなくなったり、口腔の清掃を怠たったりすると微生物の数が著しく増加し、さらには、悪玉菌ともいえる病原性の高い微生物の数が一気に高まります。これらの悪玉菌は、とくに体が抵抗力を弱めた時に、重大な病気を引き起こします。

高齢者に見られる肺炎がそのうちの一つで、高齢者の死因の上位にランクされる病気です。この肺炎は、口腔を清潔に保つことで予防が可能なことが知られており、口腔ケアが重要とされています。口の中は他の場所と違って汚れていても気が付きにくいところです。また、口腔の構造は複雑ですので、簡単な歯ブラシだけでは清潔に保つことが出来ません。

生活に何らかのお手伝いが必要になった時には、自分だけでは口の衛生状態は保てないと思って良く、誰かの手伝いが必要な状態を言ってよいでしょう。本人任せにしないようにしましょう。

口腔ケアによって肺炎の発症は約半分に減らすことが出来ることが知られています。口腔ケアで肺炎予防!口腔ケアで寝たきり防止!ぜひとも実践したいものです。

3.肺炎予防に対する口腔ケアの効果

肺炎の発症メカニズムには「口やノドの中の細菌」「誤嚥」そして「体の抵抗力」が関係します。ここで、ある研究を紹介します。全国11ヶ所の老人ホームで行われたこの研究では、歯科医師や歯科衛生士によって口腔ケアを積極的に行ったグループと今までどおりの口腔ケアにゆだねたグループの間で、発熱の発生率、肺炎の発症率、肺炎による死亡者数を比較しました。その結果、積極的に歯科関係者によって口腔ケアを行ったグループでは今まで通りのグループに比較して、25ヶ月間で肺炎の発生率が40%、肺炎による死亡者数は50%減少することができました。

また、口腔ケアによって飲み込む機能が良くなったり、むせ込む機能が良くなったりすることも確認されており、口腔ケアの継続は細菌を減らす効果ばかりでなく、飲み込み機能やせき込む機能を改善させることで誤嚥防止につながり結果として、肺炎の予防に効果があることが期待されます。

4.肺炎予防に有効な口腔ケアのコツ

口腔ケアに必要なポイントは二つです。

1. 細菌の塊であるバイオフィルムを破壊する。
2. 破壊したバイオフィルムを除去する。

5.バイオフィルムの破壊って?

細菌の塊であるバイオフィルムは、強い粘着性を持って歯や義歯、口腔粘膜に付着しています。歯についたバイオフィルムの破壊には、歯ブラシを用いて、口腔粘膜についたバイオフィルムの破壊にはスポンジブラシやガーゼなどを用います。バイオフィルムの破壊には、上記のように物理的な破壊をすることが必要で、うがいなどでは破壊することはできません。

6.破壊したバイオフィルムの除去とは?

通常、歯ブラシによって破壊されたバイオフィルムはバラバラになり、多くは口の中に落ち唾液に溶け込みます。歯ブラシ後にうがいをすることで、唾液中や口の中に落ちたバイオフィルムは口腔内に排出されます。うがいができない人の場合には、破壊したバイオフィルムが誤嚥される恐れがあり、特別な注意が必要です。破壊後の回収除去を怠ると、口腔ケアをすることによって肺炎を発症するといった「口腔ケア関連性肺炎」と呼ばれる状態になります。よって、破壊したバイオフィルムが喉の奥に落ち込まない配慮と速やかに口腔外に排出させる配慮を行う必要があります。

喉に落ちこまないためには、

1.多くの水や洗浄剤を使用しない
口腔咽頭機能が低下すると、口の中に水をためていることが苦手になります。口腔ケアを行う際に、水分の多いスポンジや綿棒を使用したり、洗浄を目的に多くの水や洗浄剤を使用すると、水分がのどに落ち込み、そのまま、誤嚥されてしまう恐れがあります。
2.頸部を前屈させて咽頭に流入しないように配慮する
頸部を前屈すなわち、顎を引く姿勢は、口の中に水をためていられやすい姿勢です(図2)。この姿勢によりのどの中に汚れた水を落とし込まないようにします。

3.しっかり歯ブラシを洗いながら、ふき取りながらケアをする。
歯をこする歯ブラシには口腔ケアの過程で多くの汚れ(細菌の塊や食物残渣など)が付着します。それをコップに入れた水などでしっかりと濯ぐことで、なるべくきれいな歯ブラシを口に戻すようにします。 歯ブラシをある程度したら、口腔ケア用のウェットテッシュなどで、丹念に粘膜をふき取りながら口腔ケアを行うことも重要です。うがいが出来ない人などには有効な方法です。

7.歯科衛生士による口腔ケアの“いい話”

歯科衛生士は、上記のような様々な配慮を行いながら、施設や在宅に訪問して口腔ケアを行うことが医療保険や介護保険を利用して行うことができます。歯科衛生士は、施設の職員に対して口腔ケアの教育をしたり、施設内の口腔ケアのシステムを整えたりすることが求められています。また、個々の方向けの口腔ケアプランを立案して、実際の口腔ケアも実施します。下のグラフは、施設に対して口腔ケア教育やシステム提案などを行う口腔ケアマネジメントの効果と加えて歯科衛生士が個々の利用者に直接口腔ケアを行うこと(POHC)の効果を肺炎発症で示したものです。歯科衛生士の関与が大きくなるほど肺炎効果が高いことを示しています。

8.高齢者で増えるむし歯の話

むし歯といえば、子供のころに悩まされるものとお思いの方も多いでしょう。実際に子供のころは、歯も幼弱で酸に弱く、むし歯になりやすいために、多くの子供たちはむし歯を持っていました。しかし、最近では歯ブラシの習慣やフッ素の使用などが広がり、子供たちのむし歯はかなり減ってきているといってよいでしょう。

一方で最近増えているのは高齢者のむし歯です。8020運動という言葉を知っている方は多いでしょう。20本歯があれば噛むことに困らないというデータから、80歳になっても20本の自分の歯を保とうという健康目標です。20年前にこの目標が立てらえた時にはまだ5%ほどの達成率でした。しかし、最近の調査では、38%の方が達成しており、大きな進歩といえます。一方で、歯が残っている人がいるということはむし歯になる可能性のある人も増えるということで、しっかり歯を磨いているうちはいいのですが、手の動きがやや不自由になったり、口の感覚が低下したりすることで、一気にむし歯のリスクが高まってしまうのです。そこで、せっかく良い歯を保った状態で高齢期を迎えた人が、高齢期にむし歯を抱えるというわけです。

9.高齢者のむし歯の特徴

高齢者のむし歯は、子供のころのむし歯とは違うある特徴を持っています。子供のむし歯は、噛む面から発症する場合が多いのが特徴です。一方、高齢者のむし歯は歯の根の部分からなる場合が多いのが特徴です。高齢者の歯は歯ぐきから延びたように見える場合があります。それは、歯周病で歯を支えている骨が溶けてしまい、同時に歯茎が縮むことで、本来歯茎に隠れている部分が歯の根が歯茎から露出します。これにより、酸に弱い歯の根はむし歯にかかりやすくなるのです。むし歯が進むと一気に木の根を切り倒すように歯が折れてしまうため、わずかな時間で、歯がなくなってしまいます。

10.その時のために、夫婦で“お口の情報公開”

ご主人の退職などを機会に、夫婦で口の中の情報公開をすることお勧めしています。実は、夫婦といえども、お互いにどんな歯をしているのか知らない場合が多く、入れ歯の方であれば、入れ歯の形やその外し方、つけ方なんていうのをお互いに公開しようということです。結構、人に歯ブラシをしてもらうことというのは恐怖を伴うもので、やる側もやられる側もドキドキです。どこに歯があってどこに食べ物が詰まりやすいなんて言うのを、情報公開するのもいいと思っています。夫婦で膝枕なんかをしながら、、、。

口腔リハビリテーション多摩クリニック 院長
日本歯科大学 教授
菊谷 武

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