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お歯黒の終焉

 江戸時代におけるお歯黒の風習は主として女性のみに限られていたようであるが、1868年(明治元年)1月6日の令により「公卿の涅歯、点眉は古制にあらざるを以て必ずしも循守せざるを咎めず」と布告され、さらに1874年(明治6年)3月3日には太政官布告によって「皇太后、皇后、御黛、遠鉄漿被廃候旨御仰出候事」と発表され、華族でこれから成人する者には、お歯黒や眉を剃ることを止めさせるようにし禁止令が出され、宮中においても歯黒めは御黛とともに廃止されるに至った。この頃から、お歯黒の慣習も東京から徐々にすたれ始めた。お歯黒に関する実態調査としては、唯一、和歌山県開業歯科医師中村好正(明治27年3月刊:歯科研究会月報第39号)によるものがある。それによると、1892年(明治25年)5月から12月までの8カ月間の調査結果は、来院した女性589人中、有歯の既婚女性385人で、お歯黒をしている者は274人であり70%強であったという。第二次世界大戦の初期頃でも、地方においてはお歯黒を付ける姿をみかける場面もあったということから、お歯黒が衰微するには約半世紀の時を要している。

参考文献

■谷津三雄:医歯薬史資料図鑑-目でみる医歯薬史-、53-67、医歯薬出版、東京 1987.

■長谷川正康:歯の風俗誌、38-69、時空出版、東京、1993.

■山賀禮一:お歯黒のはなし、8-18、242-251、ゼニス出版、東京、2001.

■樋口輝雄:明治中期のお歯黒習俗について、歯医史、26:113、2005

元日本歯科医師会生涯研修委員会 委員長 武部 裕光

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