第1回 生きがいを支える国民歯科会議

生きる力を支えるための歯科医療

 ここまで、歯の病気の簡単な説明をしましたが、ここからは私たちがこれから何をしなければいけないのかということについて、私の考え方をお話しします。
私たちは、あらゆる状況の人々の生きる力を支えるための歯科医療をこれから目指していきたい。このあらゆる状況というところが、実は大変大きく広がっています。
これは北九州の歯科救急センターに入院した赤ちゃんです。重度の障害を持っていて、自分で口から栄養を摂ることができません。

 生後11日目から、歯科医師と歯科衛生士が、この赤ちゃんの口腔ケアに参加します。口の中の環境をきちんと整えます。口から食べないために、口腔内の細菌のエコシステムが乱れます。したがって口腔ケアを生後11 日目から始め、ある程度安定したところで、お母さんに口腔ケアを任せました。お母さんは毎日センターに通って、口腔ケアをやりました。
この赤ちゃんは、大変お気の毒に生後111日目で亡くなってしまいました。私は聞きたいことがありました(このお話は日本歯科衛生士会の金澤会長にお聞きして、金澤会長から担当の歯科衛生士にお電話して確認していただいたのです・・)
その赤ちゃんの、身体を拭くことと、口の中をケアするということについて、お母さんの意識に違いはありませんでしたか、ということです。
向こうからの返事は、「まさにそのとおりです。お母さんの口の中をケアするときの熱心さと、意気込みというか、思いというのは、身体を拭いているときよりもはるかに強いものがあった」ということです。
これは最後にお話ししますが、口という器官に対して、母親には特別な思いが生まれるのではないかと私は思っています。

人はなぜ食べるのか

 私たちは生きるために食べ続けるのですが、いろいろな方がいろいろなことを言っています。江戸時代の秋田藩の町医者で安藤昌益という人の膨大な著作が、明治になって、古本屋で発見されました。その『統道真伝』という本の中で、人は米を食べて人になるのだから、人はすなわち米である。武士は米をつくっていないから、社会の中ではまったく役立たないという過激なことを書いています。これが表に出たら、この人はたぶん生きてはい られなかったろうと思われるような徹底した農本思想を持っていた人です。

 私は、大阪大学総長で哲学者の鷲田清一先生と、最近、対談をさせていただきましたが、鷲田先生は、「生きるということは食べ続けることであり、これは人間の核にある真実だ。しかし食べることと味わうことに、人間の生存や意味が凝集しているというのが、もっと核にある真実であるように思われる」と言われます。
つまり動物として栄養を摂るために食べ続けるということは生きることの基本である。しかしそれ以上に食べることと味わうことに、生きることの尊厳とか、生きることの意味が凝集しているのではないか。これは鷲田先生が臨床哲学という自分のフィールドの中から得た一つの考え方です。

 人間はただ単に生きるために食べ続けるだけではなくて、もっと別な意味を「食べる」という行為の中に持っている。それがいまの食育の基本の考え方であるべきだと思っています。
冒頭、ビデオを見ていただきました。義歯で噛めるようになったときに立って歩く。何故かというのは、非常に明解に説明できます。血清アルブミン値すなわち血液の中のアミノ酸の量を測ることで、その人の栄養状態が評価できます。血清アルブミン値3.5ぐらいが栄養状態の分岐点で、3.5から下になると低栄養、それより上がると栄養状態がよろしいということのようです。
要介護の人たちに栄養介入をして栄養価の高いものを食べさせても、アルブミン値は上がりません。つまり低栄養の状態から脱出できず、逆に下がってしまう人もいます。食べられるようにする訓練をして初めてアルブミン値が上がっていく。すなわち、単に栄養価の高いものを摂っているということだけではだめなのです。食べるという機能がきちんと加わって、この両方が相俟って初めて人間は栄養状態が良くなるのです。

食べること=命をつなぐ

 最近、これを見事に説明してくれたのが福岡伸一さんの『生物と無生物の間』という本です。その中に、1940年代に、ルドルフ・シェーンハイマーというアメリカに亡命したユダヤ人がした実験が出てきます。

 簡単に申し上げますと、人間は自動車のように、食べ物をガソリンとして摂る。つまりエネルギー源として摂るという観点からすれば、食べたものは全部燃えて、アミノ酸はチッ素でできていますから、燃えかすとしてチッ素が出てくるだろうとシェーンハイマーは仮説を立てた。そこで重チッ素という特別の目印をつけたチッ素を含んだアミノ酸の餌を与えたところ、3分の1しかチッ素が出てこなかった。残り3分の2のチッ素はどこにあるかと調べたら、体中のあらゆる組織、肺や腸などのタンパク質が、重チッ素の目印をつけたタンパク質に置き換わっている。そこで普通の食べ物に戻して、もう一度解剖すると、1週間後ぐらいには、体中の組織から重チッ素を含んだタンパク質が消える。
つまりわれわれの体は日々、分解をして入れ替わっている。食べるということは入れ換えで、福岡さんに言わせると、命は流れである。その流れを絶たないために食べるわけで、別にお腹がすくから死ぬわけではない。食べないと流れが絶たれてしまう。そのために私たちは食べるのである。命をつなぐということが、食べるということの究極の意味であろう。食べ物を補充しなければ、私たちの体はすべて流れ去ってしまう。これは人間においても同じである、ということです。

8020社会を目指す

 8020は、歯が20本あれば、きちんと噛めるということを意味しますが、私どもは8020達成者が50%を超えた社会を8020社会と呼ぶことを提案したいと考えています。8020社会という言葉は、まだ認知されていない言葉ですが、これを目指していきたいというのが私どものいまの考え方です。

 実は健康日本21が始まったときに、五つの生活習慣と四つの疾患の中に、歯の健康が糖尿病、循環器疾患、がんと一緒に入りました。それぞれ数値目標を設定したのですが、それぞれの中間目標を達成したのは、実は歯の健康だけでした。80歳で20本以上を20%という目標値を平成15年に達成しようとしていたところ、実際には25%達成しました。ほかの目標も全部、中間目標値を超えました。特に75~84というのは年齢がとても高くなりますが、この10年の間で20%という目標値が25%までいったということです。

 1975年がブルー、グリーンが2005年で、各年代を並べてみると、明らかに40歳以上の各年代で、1975年に比べて、すべて歯が残っている率が高くなっています。
特に75からは急速に減っていきますが、2005年は残り具合が60、70、80で大変大きくなっています。この差が大きいということは、高齢者で歯が残るスピードが速くなってきたことを意味すると考えられます。ここは私どもにとってはいい兆候ですが、8020はまだ25%、4分の1の人しか達成していないということです。

 宮古島で約15年間、私どもの仲間が調査しておりますが、細かい話はともかく、80歳で比べると、実線はちゃんと噛めている歯が10本以上、破線は10本以下のグループですが、ちゃんと噛めている歯をたくさん持っている人のほうが平均寿命は長いということが15年の研究で明確にわかっているわけです。
80歳の女性と男性では、ちょっとおもしろいことに男性のほうに差があります。女性は生きる力が強いのでしょうか。男のほうがガクンと来るということだと思います。

 これは約10年、新潟県で高齢者約1,500人を追跡した調査です。ここから、自分の歯を20本以上持っている8020達成者は、義歯がいい状態でも、普通でも、あるいは義歯がなくても、あまり変化がない。高齢者の健康悪化の危険度はそんなにないことが明らかです。危険度が最も大きいのは、歯が1本もなくて、義歯をまったく持っていないか、噛めない義歯の人です。健康悪化の危険度が高い。歯が1本もなくても、義歯が良好ならば、有意差はないとは出ていますが、やはり義歯があるほうがいい。
20本残すことも大事ですが、残らなかった人にとっては、ちゃんと噛める義歯をつくれるかどうか。その義歯を装着して食べられるようにするかどうかということが、身体的な健康悪化にかなり大きく影響するということです。

前のページ 次のページ