第1回 生きがいを支える国民歯科会議

 冒頭、ビデオを映させていただきます。

 これは岩手県の国保歯科診療所を訪れた、初診時にはまったく動けなかった患者さんです。ドクターから余命2~3カ月だろうと言われて、家族の方がせめておいしいものを食べさせたいということで、義歯を入れ調整して噛めるようにいたしました。
 歯が入った段階で、すでに顔つきが違っているのですが、まったく動けなくて車椅子だった患者さんが、約1カ月半後には、このように腰は曲がっておりますが、歩いて病院に通ってくるようになりました。
 さらに1カ月後ぐらいには、同じ人ですが、ピンと腰が伸びて、そして半年後ぐらいには庭仕事ができるようになりました。奇跡を起こしたわけではありませんし、車椅子の方に義歯を入れたら、みんなこうなるということを申し上げているわけではありませんが、ただ事実として、こういうことが起きている。それは何かということです。
 今日は生きがいのある人生とは何かということの中で、まず健康であること、あるいは食べられるということが極めて大きな意味を持っているということをお話ししたいために、冒頭このビデオを映させていただきました。
 実は私たちの口の中というのは、大変な数の細菌がいます。肉眼で確認できる星の数は、約8600だそうです。

 歯の表面についた細菌の塊を耳かき1杯ぐらい、1グラムぐらい採っただけで、その中に約1000億のバイ菌が動いている。これは、位相差顕微鏡で見たところです。つまり口の中というのは400種類ぐらいのバイ菌が、星の数どころではなくて、無数にいる。それがそれぞれ棲み分けているのですが、このバランスが崩れると、むし歯とか、歯周病とか、歯をなくす原因になってきます。
 ここからが本題ですが、平成元年から、当時の厚生省、いまの厚労省と日本歯科医師会が80歳で20本の歯を保つという運動を始めました。この80歳というのは、実は75でもいいし、85でもいい。60では困りますが、少なくとも後期高齢者といわれている75歳以上で20本の歯を保っていればということで、この20本のほうが大事で、80というのは一種の基準です。つまり高齢になっても、という意味です。

 なぜ20本なのかということをお話しします。永久歯は親知らずを別にすると28本ですが、調査をした結果、自分の歯を18~28本ぐらいもっている人は、たくあん、フランスパン、酢ダコ、せんべいが食べられる。それが6~17本ぐらいに減りますと、れんこんとか、かまぼことか、やや軟らかいものになる。さらに1本も歯がないとか、5本ぐらいしか残らないような状況になると、バナナしか食べられない。
 失った歯を義歯で補うということは大事ですが、とにかく自分の歯が20本あると、ある程度、何でも食べられる。そこで20本の意味が見出されて、8020の運動を始めたわけです。

 歯が抜ける原因はむし歯と歯周病がほとんどで、8割以上です。生まれてから歯が生えて、そして永久歯になり、だんだん年齢を重ねていって、最後に亡くなるまでの間、そんなに簡単ではありませんが、この二つの疾患を防ぐことができれば、8020は実現できるということです。

 次に簡単にむし歯と歯周病についてお話しします。
これは実は私が診ていた幼稚園です。昭和40年代半ばで、200人の子どもがいました。その子どもたちの歯の検査をして、1本もむし歯のない子だけ、ここに残ってもらって、むし歯が1本でもある子はどいてもらいました。
  そうすると、これだけしか残りません。つまり昭和40年半ばというのは、子どもたちの98%ぐらいがむし歯で、むし歯の洪水の時代と呼んでいました。

 これは10年ぐらい経った同じ幼稚園です。園児の人数は減っていますが、同じようにむし歯がない子だけ残ってもらいました。そうすると、このぐらいまで増えています。私は忙しくなったので辞めまして、若い人に譲ったのですが、むし歯がなくてここに残る子どもたちのほうが全体の数の中では多いのです。
 しかし先進国の中では、日本はまだむし歯が多くて、もう少し減らしたほうがいいという勧告を受けています。したがって地域の歯科医師会ではそういう努力をしているということです。

 歯はこのように埋まっていて、それをまっぷたつに割ってみますと、一番上の、私たちが白くきれいな歯だと言っているのはエナメル質という歯ですが、これは歯の表面を非常に薄くコーティングしている組織です。カルシウムとリンを主体に、ダイヤモンドを10とすると7ぐらいという極めて硬い組織です。
 たとえば何十万年前の人類がサルからどう変化したかということを調べるとき、骨はほとんど残らずに歯だけが残りますから、人類学者はこの歯の形を頼りに、それがサルなのか、人間なのかということを判定するほど、この歯という組織は残りやすい。そのエナメル質の下には象牙質があって、その中に歯髄があります。俗に痛くなると神経を抜くというときには、これを指しています。歯の中に閉じ込められた歯髄組織ですが、歯の根っこのピンホールぐらいの細い穴を通して、心臓から血管が入り、脳から神経が入っています。それで歯に知覚があり栄養が供給されているのです。
 したがって神経を取ってしまいますと、歯は立っていることはできますが、栄養が来なくなるので脆くなる。ですから私たちはいまなるべく神経を取らない治療法を目指しています。もちろんだめなら、取らなければいけないのですが、歯髄を取ることで、歯を残すこともあります。
 カルシウムとリンでできているエナメル質は非常に硬いのですが、酸で簡単に溶けるという弱点を持っています。したがって酸が歯を溶かす。これがむし歯です。そして進行すると、こうなって、抜かざるを得なくなる。こうなると8020はだんだん可能性が少なくなるということです。

 それではなぜむし歯ができるのかということです。昔から、いろいろな論争がありましたが、戦後になって、一つ出てきたことは、お砂糖とむし歯は極めて相関関係がある。
 ここに角砂糖を並べたのですが、昭和20年、第二次大戦の終戦時には、外からお砂糖が入りませんので、日本国民のお砂糖の年間消費量は0.2キロ、200グラムです。
 いま毎日、甘いものを食べている子は1日にこの(?)ぐらいは食べている。終戦時、それは1年間の消費量でした。そのときにむし歯はどんどん減って、推定ですが、40%ぐらいの人しかむし歯はなかった。
それが戦後、お砂糖の消費量が増えるにしたがって、どんどんむし歯が増えてまいります。
 先ほど私が見せたのはこのあたりです。このへんから子どものむし歯は、うなぎ上りに上がっていきました。ところが日本人は、欧米人に比べると、あまり甘いものを好まないのか、たぶんいまは年間30キロ前後で推移しています。これは一つには歯科医師会の活動の成果でもあるでしょう。子どもたちのおやつの食べ方、お砂糖を食べてはいけないということではなくて、食べ方を考えることによって、むし歯の害がなくなるということです。
 ただ問題は、むし歯は砂糖でできるのかというと、実はそうではない。お砂糖は実は共犯者で、本当の主犯は先ほど見せた口の中のバイ菌のある種のものがむし歯をつくるということがやっとわかったのが1975年ぐらいです。

 これは歯科大学の学生を対象にした有名な実験で、もちろん本人の了解を得て行ったものです。前から4番目の小臼歯の表面を撮影したものです。左の4枚は、脂肪とタンパク質だけの食事で、糖分をいっさい採らないで、1日目、2日目、3日目、4日目と歯を磨かないでおきますと、だんだん汚れが厚くたまってきます。
 ところが右側の4枚の写真ですが、ここに蔗糖を入れると、まったく汚れのかたちが違ってきます。ブドウの房のように、汚れが固まってきます。これは細菌が入ってきた砂糖をネバネバの物質で包んで、歯の表面にくっついているのです。これは食べ物によるものではなくて、細菌の塊です。
 これがストレプトコッカスミュータンスで、培地の上では、連鎖状になってくる菌です。お砂糖が入ってくると、この一つの菌が自分自身の体の周りをムコ多糖類という非常に粘っこい物質で包んで、そして歯の表面にくっつく。普段、この菌は唾液の中を浮遊しているだけですが、これが歯の表面にくっついて、ほかの細菌もくっつけて、さっきのように膨らんだ歯垢プラークと呼ばれるものになります。
 よく歯磨き剤の宣伝で、プラークを除去するというのがありますが、歯の表面にくっついた細菌の塊をどう取るかということです。むし歯と歯周病は細菌の種類は違いますが、やはり同じように、口の中の細菌が歯周病を発生させますので、それをどうするかというのは極めて大事なことで、これが歯ブラシ、歯磨きの基本的な理念になっています。
 繰り返しますと、口の中の唾液の中に浮遊している細菌は、お砂糖が入ってくると、細菌自身が自分の体の周りを粘っこい物質で包んで、歯の表面にくっつく。そして細菌の量が多くなりますと、こういうプラークができます。さらに蔗糖の糖分がプラークの中に染み込んでいって、それが細菌の活動のエネルギーとなって、その結果、最終的には酸が出てきます。その酸が歯を溶かしてむし歯になります。
 デンプンのような大きな物質はこの中に入り込まない。したがってお砂糖を食べると、プラークをつくる役割をして、同時に酸をつくる。お砂糖をのべつまくなし食べていると、プラークをつくり、そのプラークの中で酸ができることになります。この二つでむし歯ができるというのが、いまのむし歯の発生の理論です。
 実は歯周病というのは歯の病気ではなくて、歯を支える組織の病気です。歯と歯茎の間に1ミリ以下のわずかな溝があります。その溝の中で細菌が繁殖して、ここに歯垢ができます。硬くなると歯石になるわけです。
 これを放っておくと、歯肉に炎症が起きます。歯肉炎です。それがさらに進むと、歯肉だけではなくて、歯肉の下の骨まで溶けて、そして歯周病になる。もっとひどくなると、骨がなくなってしまって、グラグラになります。

 これを写真でお見せしますと、これは一見、健康そうに見えるのですが、われわれから見ると、歯と歯の間に伸びている三角の歯肉が少し膨らんでいますから、初期あるいはちょっと進行した歯周病ということになります。本当は歯と歯の間の骨が三角に盛り上がっている部分が、ペッタンコになって、三角の尖った部分がなくなってきます。

 これがもっと顕著になると、歯肉が下がって、歯が長くなったように見えますが、実は歯が長くなったわけではなくて、歯肉が下がったということです。レントゲンを撮ると、さっきはここまであった骨がここまで下がっている。もっと進行すると、この歯の周りには骨がなくなる。そしてグラグラになって抜けるということで、実は40歳以上の8020を阻害する一番大きな要因は歯周病です。
 むし歯のほうはむしろ若い人たちですので、これからの課題は成人の歯周病をどこまで防げるかということにかかっていると私たちは思っています。これが歯周病の原因になっているプラークです。歯と歯肉の間です。その中で、網の目のように細菌が絡み合って、歯と歯肉の間に棲みついているのです。

 最近もう一つ注目されているのは、歯周病と糖尿病の関連です。実は従来からは関連があるだろうといわれておりました。それは糖尿病になった人は歯周病が治りにくいので、関連があるだろうという認識でした。つまり糖尿病が主で、歯周病はその結果として、治りにくいというわけです。

 ところが最近の研究で、実は歯周病があると、糖尿病の血糖値の安定化を妨げる。炎症があることで、実は糖尿病の血糖値が安定しない。
 したがって歯周病があることが、糖尿病が悪化する原因でもあるし、逆に糖尿病があることが歯周病の悪化する原因にもなるということで相互関係にある。したがって、いま私どもは糖尿病の専門医の先生方と協力して、糖尿病を治しながら歯周病を治していく。逆のこともあり得るという医療連携を始めようとしております。

 ここまで、病気の簡単な説明をしましたが、ここからは私たちがこれから何をしなければいけないのかということをお話しします。
 私たちは、あらゆる状況の人々の生きる力を支えるための歯科医療をこれから目指していきたい。このあらゆる状況というところが、実は大変大きく広がっている領域になります。
 実はこれは北九州の歯科救急センターに入院した赤ちゃんです。重度の障害を持っていて、自分で口から栄養を摂ることができません。

 それで生後11日目から、歯科医師と歯科衛生士が口腔ケア、口の中の環境をきちんと整える。口から食べなくても、逆に食べないことで、口腔内の細菌のエコシステムが乱れます。したがって口腔ケアを生後11日目から始めました。そしてある程度安定したところで、お母さんに口腔ケアを任せました。お母さんは毎日センターに通って、口腔ケアをやりました。
 この赤ちゃんは、大変お気の毒に生後111日目で亡くなってしまいました。これは実はここにいらっしゃる歯科衛生士会の金澤会長にお聞きして、金澤会長から担当の歯科衛生士にお電話していただいたのですが、私は聞きたいことが一つありました。
 それはそのお母さんはあかちゃんの身体を拭いてあげたかもしれないけれども、身体を拭くことと、口の中をケアするということで、お母さんの意識に違いはありませんでしたかということです。
 向こうからの返事は、まさにそのとおりです。お母さんの口の中をケアするときの熱心さと、意気込みというか、思いというのは、身体を拭いているときよりもはるかに強いものがあったということです。
 これは最後にお話ししますが、食という器官に対して特別な思いがあるのではないかと私はいつも思っています。大変不幸な例でありましたが、それがここでも証明されたのです。

前のページ 次のページ